18歳はじめました。

大学一年生の春です。

平成は教科書にのれますか。

カメラロールは盛れてる写真でいっぱい!

写り悪い写真はいらないし、コンプレックスの鼻は動物系のフィルターで隠れるし。

プリでも補正で誤魔化しもきくしね!

 

って言う世代生まれ世代育ち。

本当は今私たちが一番若くてカワイイはずなのに、加工後の私たちってだいたい似たり寄ったり。

目がガン開いて、鼻がスッとして、色素薄い系。確かにカワイイ!けど、いやカワイイけども。

目が盛れて口鼻が隠れちゃえばぶっちゃけ君も私も大差なくて、特に私は元の目が小さいから別人。

高1の時に撮った写真は携帯の容量がなくてデータが飛んだり消したりしてあんまり残ってない。高3は割とあるかな?

 

あたしがおばあちゃんになって、私も若い頃はって言って見せられる写真はあるのかな。

どれ?って言われるだろうな。

 

データ、飛ばないかな。

シャングリラみたいに携帯を川に落としたら跡形もなく私の青春の思い出なんて消えたんじゃうの。

いくら可愛く写ってたっておばあちゃんになった頃にその証明は無くなっちゃいそうなの。

 

バックアップしろなんて言うけどさ、君はガラケー時代のデータを懐かしいなっていって見たりする?

何だかんだ卒アル見てない?

結局、大事なのって触れる過去の思い出なんじゃないの。

 

歴史の教科書にはその時代の絵とか写真とか文書とかたくさん載ってるけど、私たちの時代があった証明は一体何が残すんだろう。

博物館には何が並ぶんだろう。

ネットでうまい棒が食べたい。

お題「ブログをはじめたきっかけ」

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お題スロットを試してみた。

きっかけは正直、最初に書いた「インターネット上で匿名になりたかった」の一点だと思う。

 

名前がつくと見栄をはる。本名で使っているインスタもツイッターも、せっせと撮った映える写真や人を笑わそうとした文章で溢れている。

やれイケてる男の子とのグループで出かけた写真だとか、やれディズニーに行っただとか、

普段のことですの顔をした見栄とマウントの塊だ。 

 

なんとなくそういうところから離れたかった。

タピオカもパンケーキもケーキも好きだ。映えるカラフルなドリンクも嫌いじゃない。

でも、ひとりきりの時は爽健美茶を飲んでいる。NewDaysの肉入りのおにぎりを食べている。

もっというと、お金がもったいなくて飲み物は我慢したり、うまい棒で空腹を殺している。

 

 

ここではひとりきりの帰り道みたいに、うまい棒を頬張っていたい。

名前のない大学生として日々のことを書いていきたい。

 

平成生まれ平成育ち ff内ならだいたい友達

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今週のお題「平成を振り返る」

 

大学一年生。

私は平成生まれの平成育ちである。

 

なんとなくお題に挑戦してみようと思ったが、振り返るも何も平成の世しか生きていないし、なんなら前半半分くらいは生まれていないか記憶にないかだ。

 

赤ちゃんの頃の写真がある。

分厚いパソコンを前に、まだムチムチした私がボケーっと座っている写真。

鼻の低い顔は今とほぼ変わらず、誰の子供時代でしょうクイズを出したらすぐに当たりそうな変わらなさだ。

画面には辻ちゃん

 

親がそう呼ぶから「辻ちゃん」なんて呼んでみたが、彼女は無論年上だ。

ちょうど私が生まれた頃に「恋愛レボリューション21」がリリースされたらしい。

日本の未来はwow wow wow wow!

未来への期待という歌詞の曲だが、生まれてこのかた不況の私達からすると終わりに向かっていく状況で敢えて元気を謳ったように聞こえてしまう。

こんな偉そうなことを言っているがカラオケでよく入れる十八番の曲なので頭が上がらない。

 

幼稚園の写真はプリキュアと共にある。

ふたりはプリキュアに育てられた私達は、いわばプリキュア教育一期生だ。

カッコいい女の子に憧れてこの後武道をすることになった一期生の私だが、どうやら今のプリキュアは肉弾戦が少ないらしい。

 

それから、たまごっち。小さい白黒画面。

幼稚園に連れていけずに多くのたまごっちが犠牲になったが、時間変更画面で止めておくと成長が止まる裏技の流行以降たまごっちは

死ににくくなった。対価は成長の遅さだった。

 

小学校の写真は出先のものばかりだった。

旅行とか遠足は親や写真屋さんが写真を現像するが、この頃になると携帯のカメラも使えたものになるからか、些細な出来事は携帯での写真が多い。

といっても、今見ると画質は最悪である。

 

プリキュア一期生だった私たちは今度はフジテレビにお世話になる。

 

ヘキサゴンとはねるのとびら。あとはレッドカーペットにレッドシアター。

M1も、ノンスタイルとオードリーとナイツの三つ巴だった。

ヘキサゴンもはねとびもレッドシアターも、あの頃のお笑いバラエティはなぜか曲を多く出していた。着うた配信もあった。

ヘキサゴンの曲は特に今でも覚えているのが多いけれど、「陽は、またのぼる」が特に鮮明に記憶に残っている。

「このままじゃ終わるわけない!頑張れ日本!すごいぞ日本!頭のいい国日本ー!」

今考えると頭のいい国との矛盾も甚だしいような頭の悪そうな歌詞。

さらには恋愛レボリューションで期待した未来の日本がこれかよ、というような終わり全体の曲だけど、私たちの世代の子供はみんな見ていた番組のオールスターの曲だった。明るくて口ずさみやすい曲だった。馬鹿っぽいけど、元気なれる曲だった。

 

作詞した島田紳助はこの直後芸能界から消えた。

 

東日本大震災は道徳の授業の時に起きた。

クラスの橋本くんのお別れ会の準備をしていた。

お別れ会どころではなくなった。

余震の続く中、橋本くんはそっと転校した。

どこに引っ越したのかは誰も知らない。

お別れ会なんて小さな規模でなく、全国的に不謹慎、自粛ムードが蔓延して、多くのイベントが中止された。

その中で出された復興ソングは、ものすごい勢いで叩かれていた。

 

中学に入ると、ラインを始める人が増えた。

私はガラケーだし、ネットには繋げなかった。

ラインで遊びに行くグループが出来ると入れないこともままあったし、彼氏彼女がいる人の多くはラインで仲良くなって付き合ったそうだった。

とはいえ、まだまだ携帯もない人やガラケーの人も多かった。

 

しかし高校ではほぼ全員がスマホを手にし、クラスラインには親が厳しい子を除いたほぼ全員が入っていた。

ツイッターやインスタで、誰と誰が付き合ったとか誰と誰が遊んでるだとかの話がすぐさま広がり、PPAPの動画を撮って遊んでいた。

 

友達と遊ぶのも、プリクラを撮るのも、インスタのストーリーに写真を載せるのも楽しかった。写真は小学生の頃とは違って画質も綺麗だし、加工していくらでも可愛くなれた。コンプレックスの低い鼻はSnowの動物の口で隠れた。

 

昔の漫画で、性格が悪くてクラスで強い女の子は美人に描かれ、その取り巻きはだいたいちょっと残念に書かれている。

けど今は、可愛い子は可愛いことしか遊ばないので、取り巻きも全員可愛らしい。

可愛い子は無条件で上位カーストに入り、可愛い友達がいることがステータスだ。理由は明白。

 

可愛い女の子との写真は「バエる」。

 

可愛い友達との写真は価値がある。可愛い女の子に価値があって、その女の子と仲良いことに価値があるからだ。無論それはインスタにあげられたり、ラインのアイコンになる。

 

強い女の子は、イベントの時だけせっせと可愛い女の子に声をかけ写真を撮り、仲良くなくても遊びに誘う。

 

私はとうとうクラスで一番強い女の子に一枚も写真を誘われずに、平成最後の春に卒業した。

 

 

さて、令和元年が来る。

私が小学生の時にM1で準優勝したオードリー春日は十年間の交際を経て婚約した。

プリキュアは遂に宇宙人になった。

たまごっちはなんと、ラインで出来る。

平成を彩ったものは形を変えて、けれど確実にその痕跡を残して。時代は早く、確実に流れていく。

 

次の時代はどうなるだろう。

 

平成の私たちが歌った、世界が羨むような未来は来ないかもしれないし、このまま終わるかもしれない。

だけど、それでも陽はまた昇る。